新・翻訳アップグレード教室(8) [翻訳]
きょうは下訳の話。僕の場合、1年に2本ぐらいは、どうしても下訳を使わざるをえなくなる。しかし、それでどれほど訳者の労力が軽減されるものだろうか?
僕はどの作品でも訳了までの延べ日数を記録しているのだが、シリーズのほぼおなじ長さの作品の場合、下訳のあるなしによる差は10~15%程度でしかない。つまり、延べ50日かかる作品であれば、下訳があった場合、42~45日に短縮できることになる。
かといって、下訳料をこちらの取り分の10~15%にするわけにはいかないから、出来にもよるが3割ないし5割を支払うことになる。こっちにしてみればあまり割りのよい話ではないが、労働の正当な対価ということを考えればやむをえないだろう。
もっとも、これは良心的な訳者の場合で、下訳をあまりチェックせずそのまま出版社に提出し、なおかつ下訳料もろくに支払わないというたちのわるい人間もいるから、(下訳者も読者も)気をつけなければいけない。先生と称するもののなかには、デビュー作やその後の作品の印税まで、紹介料・指導料といった名目でふんだくるやからもいると仄聞する。僕たちの世代ではまず考えられないことだが、すこし前までは、それが平気でまかり通っていたようだ。
逆に、下訳者として、責任ある仕事をやるためには、どうしたらよいだろうか? まずは、細かいことだが、表記に気を配るということがある。下訳を頼む場合、その点をかならず念を押すことにしている。
たとえば、「今行ってきました」では字面が悪いから、ふつうはどうしても「今、行ってきました」とするだろう。しかし、仮名にひらけば、「いま行ってきました」で違和感もなく、よけいな「、」を入れる必要もない。また、出版社によってはルビをふる基準が決まっているから、ルビをいちいちふられるのを避けるには、仮名にひらく必要がある。「ドアが開いた」と表記すると、「あいた」なのか「ひらいた」なのか? と、読むほうにストレスがかかるから、いずれも仮名にひらいたほうがよい。
といったことを挙げるときりがないのでやめておくが、とにかくまずは表記に気を配る(依頼した訳者の表記に近づける)必要がある。
それから、一定のペースを維持し、納期を守ることも重要だろう。ただし、納期を守っても、杜撰な訳ではなんにもならない。拙速を尊ぶという発想は通用しない。
疑問点などは、原書のページも含めてメモにしておかなければならない。「ここがわかりません」というのを明確にしておく必要がある。
よくいうのだが、難しいところは間違えたりわからなかったりしてもしかたがない。だが、単純ミスは困る。目の醒めるようなファインプレーはいらないのだ。基本に忠実に、そして地道にやってほしい。
翻訳という仕事は一から十まで、辞書をひくことがもっとも重要だ。知らない単語があるから辞書を引く、というのはプロの辞書の引きかたではない。プロは知っている単語でも辞書を引く。頭に浮かんだ語義でまちがいないか、もっとよい訳語はないか、これまでの解釈から一歩進んだ解釈があるのではないか……あらゆることを想定して辞書を引く。スポーツでも芸能でも(特殊部隊でも)、優秀なプロフェッショナルほど基本を守り、念には念を入れ、細かいことにまで心を砕く。
きょうはこのあたりで――次回は辞書の話をしよう。