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ことばの美学 27 サイロ・メンタリティにご用心 [雑記]

 年末が近づくと、ミステリのベスト10を選ぶための投票用紙が何通か送られてくる。
 世間によく知られているもののひとつに、《週刊文春》のベスト10がある。会員でないかたは知らないかもしれないが、これは日本推理作家協会の会員になれば送られてくる。そして、広義のミステリ(むろんSFや女性向け官能小説であるロマンスも含む)を一冊以上訳していれば、ほとんどの場合入会を認められる(☆入会を希望される方は、会員になんらかの形で打診されたい。理事の推薦を取り付ける筋道がすでにできている)。現在、翻訳者の会員は55人前後で、全体(630人超)の一割にすこし欠ける。とにかく、会員になれば、翻訳者は定評あるマスコミのベスト10の投票に参加できる。このベスト10は、国内と海外に分かれている。
 講談社の「In☆Pocket」の文庫翻訳ミステリー・ベスト10の推薦用紙も送られてくる。こちらは読者も参加する形になっている。ハードカバーからの出発ではなく、文庫オリジナルが増えているいま、文庫とはいえ大きな意味を持つベストテンであることは否めないだろう。ほかにも「このミス」があるが、そちらについては関与していないので、ここでは言及しない。
 そこに、今年は「翻訳ミステリー大賞」が加わった。「翻訳家が選ぶ翻訳ミステリーという点が一番の特徴」だという。投票の有資格者は、「フィクションの訳書がすでに少なくとも一冊ある者、またはそれに準ずる訳業のある者」で、要領はともかく、年末の「ミステリー忘年会」などで第一次選考の結果が発表される。投票はメールで行なわれるとのことで、新設のお知らせは「ミステリー忘年会」出席者の名簿をもとに送られたようだ。
「ミステリー忘年会」には、日本推理作家協会の会員ではないがじゅうぶんに会員資格を持つ翻訳者が数多く出席する。そのほかのジャンルの翻訳者、ミステリ関係を中心とする各出版社の編集者、書評家、読書家も出席する。かつてはイラストレーターや写真家も来ていたものだ。いずれにせよ、出席者は200人になんなんとする。
 ここで資格のある翻訳者をリクルートすれば、おそらく会員を倍増できるだろう。しかし、この大賞の発起人のひとりに入会してはどうかと誘ったとき、「作家ではない」と断られたことがある。協会の定款には「推理文芸作家および推理文芸作品の翻訳等を職業とする者」と定められており、作家と翻訳者はおなじ立場にある。それに、彼の師匠は会員なのである。あまりにも馬鹿らしい口吻にそれ以上取りあう気にはならなかったが、その後彼は訳した本が大ベストセラーになったのだから、会員になれば相応の影響力を駆使して、翻訳者の立場を強化することもできたはずである。
 会員数の一割弱を占めるというのは、けっしてマイノリティとはいえず、存在感を発揮できるのだが、翻訳者は協会の活動に積極的に参加しているとはいえない。たとえば、発起人のひとりが以前何人かといっしょに入会したときには、会報に自己紹介の文をひとりも書かなかった。これについては長年の理事のひとりに苦情をいわれたことがある。最近でもこれを書かない新入会員が散見するが、いやしくも物書きであるならば、どんな媒体でも自分の文章がひとの目にとまる機会を逸するべきではないだろう。それに、なにもミステリへの思いを語らなくてもよいのだ。私が紹介した翻訳者の文章でもっとも印象に残っているのは、住んでいる町(田舎ではない)の自然について書いたものだった。また、年に二度のパーティに出席するものもすくなく、これも会員としてのつとめを果たしているとはいいがたいことで、たいへん残念である。
 くりかえすが、今回の「翻訳ミステリー」大賞の第一次選考結果が発表される「ミステリー忘年会」は、翻訳ミステリーになんらかの形で携わっているひとびとが集う場である。仮に私が編集者であったとしたら、「フィクションの訳書がすでに少なくとも一冊ある者、またはそれに準ずる訳業のある者」によって選ばれるということに、そこはかとない疎外感をおぼえるだろう。本はひとりでつくるものではない。まず原作を探すところからはじまって、訳者の選定、編集、校閲、製作、表紙のイラストやデザインを決めるといった作業の末に本ができあがり、宣伝がなされ、それに書評家や読書家の紹介文などがあいまって市場で認められる。
 翻訳者には、日本推理作家協会に入会することによって、《週刊文春》のようなメジャーなメディアのベスト10に投票する機会があたえられる。そのメジャーな「城」を捨て(あるいはそこに加わる機会を逸し)、みずからマイノリティになって「砦」を作るところまではよいとしても、偵騎をつとめ、兵站や実務をになう編集者、軍師や顧問ともいえる書評家や読書家のような特技を持つマイノリティをそこから排除することは、戦略・戦術上、得策とはいえない。有効な機能をみずから取り除いてしまった「砦」に戦う勢いのあろうはずがない。それに、「翻訳家が選ぶ」というのはただの仕切りであって、理念ではない。この「砦」で新しいベスト10を設立するのであれば、仕切りの外から見守るひとびとが納得するような理念が必要ではないだろうか。
 それに、売れない、売れない、といわれているのは翻訳ミステリばかりではない。先日ある若手人気作家と話をしたが、ミステリ作家の連載の場は縮小し、依頼された書き下ろしの出版を拒否されることもあるという。そんなときに。「ホンヤク」のことばかりを憂えているのはいささかナイーヴだし、サイロ・メンタリティに陥っているといえるだろう。


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