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ことばの美学45 たまには翻訳の話をしよう その2 [雑記]

1 まず、アラビア語の受動態について述べよう。一般に、アラビア語では、行為者がわかっているときには、受動態が使えない。
(例)「ハサンはウサマに殺された」は不可→「ウサマがハサンを殺した」としなければならない。ただし、ハサンがだれに殺されたのかわからない場合は、「ハサンは殺された」と受動態にできる。アラビア語では、「わたしは蚊に刺された」とはいえず、「蚊がわたしを刺した」となる。「蚊」が行為者だとわかっているからだ。
2 ひるがえって、英語で考えてみよう。死ぬはdieが一般的な言葉だろうが、「だれに殺されたのかはわからないが、戦争などで殺された」場合、ふつうdieは使わない。
(例)5000 U.S.soldiers were killed in Iraq.と、受動態にする。
3 しかしこれは、「殺された」ではなく、「死亡した」と訳すべきだろう。killedはbe killedという慣用の範疇で使われている。「イラクで5000人の米兵が殺された」よりは、「イラクで5000人の米兵が死亡した」という日本語のほうが座りがいい。
4 これにはどうも神の存在があるのではないか、という乱暴な仮説をあえて立ててみたい。もうひとつ例をあげよう。
(例)These srtuctures had to be designed to witstand winds up to 130 miles per hour.
(直訳)この構造物は、風速五八メートルの風に耐えるように、設計されていなければならない。
(日本語らしい訳)この構造物は、風速五八メートルの風に耐えるように、設計しなければならない。
☆風速はmile=1609メートルで換算。強烈な台風以上に相当。
5 もうひとつ
(例)My mother cooked me breakfast.「母は(わたしに)朝食をこしらえてくれた」
しかし、I was cooked breakfast by my mother.「(わたしは)母に朝食をこしらえてもらった」にはできない(行為者がわかっているから)。ただし、Pork should be thoroughly cooked.「豚肉にはちゃんと火を通しましょう」(ほら、自然と能動態になった!)は可能。
6 そうすると、ひとつの仮説が浮上する(いたって強引ではあるが)。
日本語:行為者なくして能動態にできるし、むしろそのほうが日本語らしい。
英語:行為者がわからないときは、いっそ受動態にしてしまう(orアラビア語のように、受動態になってしまう)。だって、行為というのは「他動詞」だから、主語がないときは受動態にするしかない。むろん、行為者がわかっていても受動態にできるところは、アラビア語とちがう。
7 われわれは(ことに翻訳者は)、英語の修辞法に慣れているせいか、日本語らしい文章を書くのを忘れがちになる。前回の人称代名詞の件もだが、英語的な発想を、知らず知らず日本語に取り入れている。それはそれでいいが、自覚する必要はあるだろう。



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