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ことばの美学16 仁義礼智 [雑記]

 戌年の年賀状に、仁義八行(仁義礼智忠信考悌)の八字を記した珠をあしらったのは、もとより八犬伝からの発想だった。『漢字典』の語義を見てみよう。仁「人の人たる所以の理なり。人を愛して私無き者を仁といふ」、義「恩を以て合い結ぶ者を義といふ」、礼「履なり。人の践履する所に因りて其方式を定むるを謂ふ。大にしては冠婚葬祭。小にしては視聴言動には当然の則あり。みな之を礼といふ」、智「事理に明きなり」……。
 もうすこし噛み砕くなら、仁はひとの不幸をあわれみいたむ惻隠の心、義は悪を恥じ憎む羞悪の心、。礼は、長者をつつしみ敬う恭敬の念、智は善悪を見分ける是非の心である。儒家は仁を最高の美徳であるとする。また、礼にともすれば形式におちいってしまう弊があったことは、歴史が示している。漢字はよい言葉に「羊」がふくまれているものが多いが、義もそうで「羊にのこぎりを添えて犠牲とする」意味から、神意にかなうきちんとした犠牲であり、「ただしい」という意味が生まれた。智は誓約のときに用いられる「矢」「干(たて)」と「口」から成る。神との約束によって物事が認識されるのが知るということなのだろう。
 先日ひさしぶりに『峠』を読み返して、河井継之助の壮絶な生きかたに、ここまでやらなくてもよかったのではないかとふと思ったのは、齢をとったせいだろうか。仁義礼智は継之助の哲学ともいうべき陽明学のだいじな要素のひとつである。そしてそこには、行動すなわち知識であるとする激烈な考えかたがある。仁も義も礼も智も、実践しなければ意味がないのである。逆にいえば、その行動によって、人はこれらの規範にしたがっているかどうかが判断される。
 急に卑近な例になるが、親子、夫婦、恋人、友人などの関係にあてはめるなら、相手のことをいくら思いやっていても、それを言動で示さなければ、なんにもならない。たとえば、クリスマスのカードや贈り物は、たとえキリスト教の行事であっても、自分の相手への思いやりを明らかにする機会という意味では、大きな役割を果たしている。カードを出したり、物をあげるときには、どこかしらに相手への思いが表われるものだ。陳腐な例かもしれないが、O・ヘンリーの短編「賢者の贈り物」やディケンズの「クリスマス・キャロル」がふと頭に浮かぶ。寒さが身にしみる季節だからこそ、思いやりで心が温まるのだ。


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