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新・翻訳アップグレード教室(34) [翻訳]

 最近、翻訳ミステリの初版発行部数が、極端に落ちている。ひとつには、若い読者がついてこないということがあるだろう。これには訳者もおおいに責任がある。すでに旧聞に属するが、『本の雑誌』2005年10月号は、特集「がんばれ、翻訳ミステリー」を組んで、この問題を取りあげている。旧聞に属すればこそ、いろいろな指摘が胸を打つ。この特集からいくつか(わかりやすくはしょって)引用しよう。
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「若い人にどうして翻訳を読まないのかと訊くと、読みにくいからって答えが多いんですよ」
「いろんな出版社が新規参入してきても、実力のある訳者はスケジュールが埋まっているので、弟子を紹介する。優秀な方もいるが、そこそこの人もいる。でも需要があるから、どんどん市場に出ていった。必然的に、翻訳作品は読みにくいと読者に思われるようになった」
――紹介すること自体はなにも問題はないが、紹介された訳者のその後の努力が重要だろう。こうした場合、編集者はたいそう苦労する。訳者も紹介する側も、それを気遣わなければならない。
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「翻訳って原書があるから、極端な話、編集者が何もしなくてもできてしまう。若い翻訳家はなれていないから、訳文の日本語としての質から誤訳の指摘まで、編集者がきっちりと原文と対照してみるべきだ……ただし、それをしなくても本にはなる」
――きちんとした編集者や出版社は、当然こういう原文と対照する作業を行なっている。だから、逆にいえば、出来上がった本はその訳者の実力以上である場合もある。だが、「ゲラを読む手間は(日本人作家の編集と比べると)三倍以上かかる」から、内心では、二度と頼みたくないと思う場合もあるだろう。手間がかかればかかるほど見落としも多くなる。訳者は、編集者がゲラを読む手間ができるだかかからないように努力すべきだ。
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 訳者は、こういうぐあいに、編集者、校閲、校正といった支援のおかげをこうむっている。また、支援作業のたいへんなことは、日本人作家の原稿とは比べ物にならない。その作業の流れをいかに潤滑にするかということに、心を砕かなければならない。考証、文字統一などは原稿の段階でできるだけ完成に近づけておく。
 多くのひとびとが支援しているので、ローテーションにも気を配ろう。納期が遅れるのは仕方がないこともある。でも、逃げ隠れするのではなく、予定の変更があれば、こちらから伝えるのがすじだ。そうしないと、支援のローテーションが狂ってしまう。
 納期などどうでもいいと豪語する訳者もいるようだが、考え違いもはなはだしい。出版社は本の売上で成り立っており、遅れれば売上に響く。社員の生活にもかかわってくる。ある意味で、訳者は出版社の社員に対して、多少の責任を負っている――それくらいの覚悟がほしい。
 また、最初に部数の話をしたが、どんな場合でも、部数のことで編集者に文句をいってはいけない。編集者は営業や上司などとの折衝を行なった末に部数を決める。訳者のエージェントをつとめて、できるだけ利益になるようにしてくれているといってもいい。むろん、理不尽なこともたまにはあるだろうが、そうした編集者の努力の結果が発行部数であると受け止めるべきだ。
 翻訳は、この世のさまざまな仕事とはまったくちがうと考えている向きもあるが、そうではなく、会社勤めや商店経営とおなじように、誠実に、正確に仕事をするというのが基本なのだ。


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