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新・翻訳アップグレード教室(30) [翻訳]

 読みたい本とはべつに、必要に迫られて翻訳書を読むことがあるが、どうにも稚拙な日本語にがっかりすることが多い。いや、日本語のうまいへたの問題ではなく、常識の問題だろう。
 われわれがふつうの会話や文章で「木製のテーブル」「鉄製の扉」「ガラス製のコップ」という表現を使うことはほとんどない。「の」には「材料を表わす」意味が含まれているから、「木のテーブル」「鉄の扉」「ガラスのコップ」等々でじゅうぶんだ。それはそれとして、最近いちばん気になったのは「木製の建物」という表現だった。「木造」という言葉が、この訳者の頭にはないのだろうか?
 編集の責任――という声もあるだろうが、編集者や校閲にこんな事柄まで指摘してもらうのを期待すべきではない。いくら些細とはいえ、これは指摘すれば訳者の「日本語の常識」が疑われかねない問題なのだ。だから、たいがいの場合、編集者は口を拭うだろう。まして、「木製の――」を平気で使うような訳者の訳文には似たような瑕瑾が多いはずだから、直しきれないという面もある。まして、訳文そのものの出来は編集者の責任ではない。
 ただし、前にも書いたように、編集者に可能な限り指摘してもらえる関係を築くのが、訳者のつとめである。ひるがえって考えてみれば、「木製の建物」がそのまま残されたのは、そういう信頼関係がないからでもあろう。
「木製のテーブル」はまちがいとはいえないかもしれない。敷衍しているという声もある。しかし、前に書いた「ワインのボトル」とおなじように、日本語の常識からすれば、「お言葉ですが……」といいたくなるたぐいの訳語である。


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