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新・翻訳アップグレード教室(25) [翻訳]

 予定を変更して、「敬語」の話をする。
 日本語の敬語はたしかに難しい。しかし、煎じ詰めれば、相手を思いやる気持ちをどう表現するかが肝心なのだと思う。
 例えば、小学生のよし子ちゃんがあしたは遠足で、弁当を持っていくことになっているとする。母親がよし子ちゃんに、「お弁当を作らなければいけないわね」といった場合、感じやすいよし子ちゃんは「お母さんは面倒で嫌だと思っている」と受け止めるかもしれない。「そうねえ。なにが食べたい?」ときけば、気遣いを察するだろう。これは敬語にまつわるエピソードとはいえないかもしれないが、たとえ相手が子供でも礼儀を守ることが大切だという点ではおなじだろう。
 さて弁当をこしらえたとしよう。よし子ちゃんはタマネギが嫌いなので、ハンバーグもタマネギを入れずに人参を擂って入れるなどの工夫をしてこしらえた。お母さんは「あんたはタマネギが嫌いだから入れなかったわよ。気を遣ったんだから」という。しかし、「タマネギははいっていないのよ。食べてね」といい、「気を遣った」ことはいわないのが、ほんとうの気配りだろう。
 奥床しい(奥床しかった)ひとびとが住む東洋の端の国では、狭いところにおおぜいが暮らしているから、こうした気配りが欠かせない。昨今、(相手が目下か目上には関係なく)礼儀を守ることを卑屈と見なす風潮が、政治家からひろまりつつあるようなのは、嘆かわしいことだ。
 もうすぐ12月で忘年会シーズンだが、今年は大きなパーティがおなじ日に開催されることになってしまった。片方のパーティの案内状に、こんな文面があった。
* *
『XX月XX日(X)には、当XXXX忘年会のほかにも、XXXXの関係者の多く
が例年ご出席なさっているパーティーが開催される予定です。同日に両方へ参加なさりたいかたがたに配慮し、会場のXXXXのご協力を得まして、今年度のみの特例として、XXXX忘年会の閉会時刻を午後11時に変更することといたしました』
* *
 賢明なかたはおわかりと思うが、これではせっかくの「配慮」が台無しだ。どうしてもっと素直にひらたいくだけた文章が書けないのかと思う。これでは物書きとして情けないではないか。
(1)「配慮し」は上から物をいう表現である。「ご配慮ありがとうございます」という使いかたはあるだろうし、「中韓の感情を配慮して」というような政治的表現も見かけるが、顔のある対等な相手に対してこういう表現はふつう使わない。
(2)配慮したことを相手にいうのは、押し付けがましく、失礼である。これは前述の例からもわかるだろう。「おなじ日にだぶってしまったからパーティの時間を延長する」という事実を述べるだけで、「気遣い」はじゅうぶんに読み取れる。タマネギを入れなかったお母さんとおなじで、そういう手配をしたこと自体が「気遣い」であるからだ。
(3)さらにいえば、「両方に参加なさりたいかたがたに配慮」するのであれば、だぶってしまいましたが来てくださいね、という招きの言葉をいい添えるのがふつうだろう。すると、この一文は「両方に参加なさりたいかたがた」に向けて書かれたものではないのかもしれない。相手はあくまで「自分たちのパーティの参加者」だ。つまり、「両方~かたがた」がいるからこういう「配慮」をしなければならなかった、と「参加者」に、弁解、愚痴をいっているようにも受け止められる。
 察するに、当事者の「配慮」の対象は人間ではなく、同日にパーティがだぶったという事実であろう。ことによると参加者が減るかもしれないという懸念も透けて見える。
『お言葉ですが…』の高島俊男さんもおなじような考えで書いておられると解釈するが、なにも四角四面に、時と場合を考えて適切な言葉を使えというのではない。そんなことは不可能だし、言葉はもっと柔軟なものだ。肝心なのは相手に対する気持ち――思いやりだろう。
 とにかく、コトバにかかわる仕事をしている人間が、日常、このような表現を平気で使うのは、コトバへの愛情が感じられない嘆かわしいことだと思う。くだんの文の趣意を、善意を押し付けないようにしながら、すべての当事者に向けて、もっと易しく、優しく書くのは、それほど難しいことではない。僕ならこう書く。
* *
『ゆくりなくも今年はもうひとつの大きな年末のパーティと日にちがおなじになってしまいました。そのため、ゆっくりお楽しみいただけるようにと、会場と交渉の末、時間を一時間延長いたしました。せっかくですので、移動と長時間の立食がたいへんとは存じますが、もうひとつのパーティに出席なさるかたがたもぜひお越しください』
* *
 くりかえすが、言葉にかかわる仕事をしている人間は、ふだんから言葉にセンシティヴでなければならない。相手の言葉によく耳を傾け、自分の言葉に気をつける。活字を睨んで四六時中そんなことばかりやっているのが、この仕事である。


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